「できない人」と思われないために、メールにつける「最後の一言」
みなさんは『事務局』をやったご経験がありますでしょうか?
私は勉強会やサークルなどの集まりで事務局の仕事をお願いされることあります(もちろん無報酬です)。
全て同業者を中心とした集まりの事務局です。会員さんは経営コンサルタントなど、いわゆる「先生業」の方々です。
無報酬でやらせて頂く一方で、そこには直ぐに使える学びが大変多いです。
「先生業」から来るメールは勉強になることが多い
たま~~~にメールで事務局あてにご意見を頂く事があります。
先生業をしている方々からのメールなので、文章は理路整然としていて読みやすい場合が多いです。
「なるほど~、そういう考え方があるのか~」と勉強になる事もしばしばです。
一方で「う~ん、このレベルかあ~」と困ってしまうような内容もあります。
それはこういうことです。
「出来ない人」はメール文章だけでわかってしまう
以前、とあるチームの事務局(のようなこと)をしていました。
文章を書いて公の場で発表するためのチームです。皆さん無報酬で参加されています。
その中のおひとりが、メールで全員にご意見をおくってきました。
詳しい内容は省きますが、ここでお話したいのはそのメールの締めの文章です。
「〇〇すべきです」
でメールは終わっていました。
そしてこのメールを読んだ私の第一印象は
「この人とは一緒に仕事しない方がいい」
でした。
もちろん、チーム解散までは一緒にやるのですが、それが終わったら…。ということです。
さて、どうして私がこう考えたのでしょうか?
ちなみに、みなさんもご経験があるかと思いますが、こうした直感は得てして当たっています。
以前そのような記事を書きましたので、ご参考までにどうぞ。
できない人ほど、自分の意見しか言わない
このメールを出してきた△△さんは(伏字にしておきましょう)、多数決の結果、ご自身が少数派になっていました。
「意見が割れた時は多数決」と事前に取り決めていたのですが、それには従わず、多数決後に更にご自身の意見を述べていました。
その時点ですでにイマイチなのです。
ただし私が言いたいのはこのあとです。
「〇〇すべき」
というのは△△さんの意見です。
そして他の人間はそうは考えなかったのですよ。
ですから△△さんは多数決で少数派だった(言葉を替えれば多数決に敗れた)のです。
さらに、自分の意見を言い切る形で文章を終わらせています。
「で? 何してほしいの?」
と、こちらが感じるであろうことに、ご自身の考えが及んでいません。
この点が、私が「今後は一緒に仕事をしない」と考える理由です。
一緒にお仕事をすることになったとしたら(私は勿論それを避けますが)、こういう方とのコミュニケーションにストレスを感じるのは目に見えています。
自分の意見を述べた後に付ける『一文』
自分自身の意見をいうことは必要な事です(特にそれを求められた場合は)。
ですが、同時に相手の意見を聞く事も必要です。
そこには常にバランスが存在している必要があります。
つまり自分の意見を大切にしたいと思う時ほど、相手の意見も重視する必要があるということです(と私は考えます)、チームで仕事をしている場合は。
こうした視点に立った時、
「〇〇すべき、というのが私の考えですが、いかがでしょうか?」
と相手の意見を聞く形にします、私なら。
(それ以前に多数決で敗れた時点でこんなメール出さないでしょうけれど)。
そこにあるのは相手を尊重する姿勢です。
分かる方には、こうした姿勢は理解してい頂けますし、意見が変わらないとしても私自身に同情してくれる場合もあります。
それは今後の人間関係についていえば、悪いことではありません。
そこまで考えた上で文章を考えるのがプロだと私は思っています。
おまけ:メールってそもそも
メールはそもそも議論には適さない道具です。
議論になりそうな時、やりとりが長引きそうな時、わたしは別な道具をつかうことにしています。
こうした私に近い価値観をお持ちの方がいらっしゃる場合、仕事が驚くほど心地よくすすますし、それはとても幸せな事です。
そして私はこのような方との仕事を優先的に、好んでいます。
良い仕事をする上で、それくらいの自由は自分自身に与えてもよいと考えています。
いかがでしょうか?
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